ドントウォーリー・ビーハッピー

昔書いてた遺書を見つけたから載せる。

時期はいつ頃かなぁ。去年末か、3〜4月かな?

家族と恋人に宛てて。もう一人書きたい友達もいるけど、この時は時間がなかったみたい。

 

お母さんへ
今までありがとう、迷惑ばかりかけてきてごめんなさい。お母さんの子供に生まれてきてよかったよ。いつもお弁当や送り迎えをありがとう。大好きでした。長生きしてください。生まれ変わっても、またお母さんの子供になりたい。

 

お父さんへ
お世話になりました。心配ばかりさせてごめんね。立派なお父さんはわたしの自慢でした。親孝行できなくてごめんなさい。やっぱり大好きでした。身体を大切にしてください。

Mちゃん、Yちゃん、Dへ
お姉ちゃんらしいことができなくてごめんね。大好きでした。みんな友達を大事にして、勉強を頑張ってください。わたしはだめだったけど、みんなは頑張って生きるんだよ。幸せになってね。

 

彼女へ
今まで本当にありがとう。大好きでした。Yちゃんはわたしのお姉さんみたいで優しくて憧れで甘えすぎちゃっていたね。わたしは先に旅立ちます。離れても元気でいてね。たまには思い出してくれると嬉しいです。幸せになってね。一生涯の愛を込めて。

 

彼氏へ
大好きでした。今まで本当に本当にありがとう。短いあいだだったけど夢みたいに楽しかったよ。もっとずっと一緒にいたかった。もっといろんなことがしたかった。何でこんた風になっちゃったのかな。愛してるからわたしの後を追うことだけは絶対にやめてください。生まれ変わって今度は間違えないようにまたあなたを好きになりたいです。

 

遺書って感傷的になるよね。わたしは書いているうちにだんだん悲しくなってきて自殺衝動が収まるからたまに書くんだけど、メモにあと2つくらい書いたやつが溜まってる。でも母に怒られたあとでも、彼氏と喧嘩したときでも、不思議と恨みつらみは出てこない。今まで一緒にいてくれたことに対する感謝と、別れる寂しさだけ。死というフィルター越しに見る事象はなんでも物悲しく切なく綺麗に見える。生まれるときと死ぬとき、現実逃避型のわたしはどうしても物事を美化してしまう。悲劇のヒロインの眼には、明け方のタイル貼りの白い浴室と猫足のバスタブ、苦いコーヒー、精神安定剤、ラジオから流れるフランスの古いシャンソン、全てが物語にしかならないし、だからこの歳になっても地に足がついてないとか言われてしまうんだね。でもつけなくて済むならわたしは一生空中をふわふわ飛んでいたいし、リアリストなんかクソ食らえだ。セックスもするしお酒も飲む、電車に乗り遅れそうになったら走るし、3日お風呂に入らなかったりする。全然美しくない。ロマンチストに唾を吐かれそう。それでも世界は美しい、そうあなたがいるから。

 

(このブログはデパスをスニッフして書かれたものです。)

 

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