今日の日はさようなら

去年書いたヤンデレズ、手直ししてないけど載せちゃうよ!

 

 

 

 

 

ぱちぱちとまきが燃える音。煙の匂いには野蛮なものがある。夕食のあとはいつも暖炉の前で過ごす私に、息子が苦笑して言う。
「母さんは火が好きだね。いつも見ているじゃないか」
「ええ、そうね。好きよ」
裁縫をする手元に視線を戻しながら、私は蘇る記憶の波に溺れていた。
炎を見ると思い出す人がある。わたしがまだ十三歳の少女だった時。もう何十年も昔のことだ。その頃私はイギリスの、とある全寮制のカトリック学校に通わされていた。
古くから続くその学校は規律正しい生活と、厳格なキリスト教の教えを守っていることで有名だった。朝の礼拝、食事の前のお祈り、眠る前の懺悔。窮屈な生活だったが、わたしはそれが嫌いではなかった。
変わらない生活、変わらない毎日。私は日々に倦んでいた。そんなある時だった。彼女がふいに私の目の前に現れたのは。
転校生として紹介されたその少女は、驚くほど美しかった。私もクラスメイトの皆も、その姿に目を見張った。漆黒の髪を腰まで伸ばした彼女は、黒く輝く大きな瞳と、薔薇の蕾のような唇、滑らかな細い首を持ち、華奢な体躯は愛らしく、まるで人形のようだった。
「西園寺百合子です」
赤い唇からこぼれる声は甘く、可愛らしかった。彼女は教卓から歩いてくると、私の横に座り、にっこりと微笑んだ。
「よろしくね」
その笑顔は眩しく、私は赤くなり、なんとか頷いた。彼女と私は同室になることが、教師から告げられた。
「あなた、可愛いわね」
 教科書を広げる私に、百合子は私の編んだ髪に結ばれた繻子のリボンをつまんで言った。
「そんなことないわ、百合子さん。皆あなたに夢中よ」
「百合子でいいわ。金色の髪も、青い瞳も、ビスクドールの肌も、あなたが一番きれいだわ」
「あなただってまるでショウ・ウィンドウの中のお人形みたい」
 百合子はかくりと首をかしげてみせるとおどけて笑い、黒板の方を向いた。
誰もが百合子に魅了された。休み時間になるとクラスメイトの女の子たちは百合子の周りに押しかけて、彼女の容姿を褒め称え、話を聞き出そうとして必死になった。男の子たちは遠巻きに、しかし熱烈に百合子を見つめて、気を引こうと躍起になっていた。
また、百合子は勉強ができた。先生の質問にもさっと手を上げて、すらすらと答える。字もうまく、運動もでき、クラスのかけっこでは一番になった。百合子はすぐにクラスの女王として、教室に君臨するようになった。
「綺麗な髪の毛」
 クラスメイトの女の子が、うっとりと百合子の長い髪を撫でる。百合子はその手を払った。
「お父さんは何の仕事をしているの?」
「お父様は貿易の会社をしているわ」
「兄弟はいるの?」
「いないわ」
「あなたみたいな可愛い子初めて見た」
「そう」
 やがて百合子は適当なところで話を遮ると、私のところにやってくる。
「いきましょう、うるさくて仕方ないわ」
背中にたくさんの視線が注がれているのを感じながら、私たちは教室を出る。
クラスメイトを冷たくあしらう百合子だったが、私には優しかった。中庭のベンチに腰掛けて、私たちはいろいろなことを話し合った。百合子は大きな会社の一人娘で、しかしその地位と美しさをちやほやする周囲の人間にうんざりしていた。
白詰草で花輪を作りながら、百合子は言った。
「私、本当のお友達が欲しいの」
「今まで友達はいなかったの?」
「いたわ、山ほどね。でも、皆、うわべだけよ。本当の意味では私は孤独だった」
完成した花輪を頭に乗せてくれながら、百合子は微笑んだ。
「でもあなたは特別よ。初めて見たときにわかったの。この子は違う、私のことを理解してくれるって」
私は赤くなり、俯いた。人からこんなに褒められたのは、初めてのことだった。声を振り絞って、私は言った。
「百合子、あなたこそ特別よ」
 百合子は輝くような笑顔を見せて立ち上がり、私の手を引いた。
「私に媚びる必要はないのよ」
百合子は美しかったが、しかし残酷だった。彼女は雨の日に、校舎の壁に張り付いたかたつむりを一匹ずつ引き剥がしては、それを地面に落として踏みつけた。何匹も何匹も、殺戮は続いた。私がやめてと頼んでも、彼女は笑いながらそれを続けた。くしゃりと潰れるかたつむりの音は、なかなか耳から離れなかった。
また、ある日の昼休み、ランチを終えて森の中で遊んでいる時、百合子があるものを見つけた。
「あれを見て」
百合子の声に目をやると、木の根元で薄緑色の羽をした小鳥が一羽、羽ばたいていた。その小鳥は、どうやら巣から落ちて動けないようだ。近寄っても逃げなかった。
「怪我しているみたい、可哀想」
私はしゃがみ込み、そっと小鳥を手のひらにすくい上げた。教師たちに言えば、助けてくれるかもしれない。私は教師たちのいる職員室に行こうとしたが、百合子は私を引き止めた。
「ちょっと貸して」
そう言うと、百合子は私の手から小鳥を奪い、それをじっと眺めた。
「百合子?」
百合子は小鳥を握りしめると、首を左に折り曲げた。小鳥のばさばさという羽ばたきの後に、ぽきん。軽い音がして、小鳥はぐったりと動かなくなった。私は息を呑んだ。百合子はことも無げに言った。
「なんだ、死んじゃった」
呆然と立ち尽くしている私の手をとって、百合子は笑いかけた。
「じゃあこの子のお墓を作りましょう」
場所はどこがいいかしら、礼拝堂の裏がいいわね。百合子は次々と提案してみせた。なんでそんなことを、とか、酷い、とか様々な感情が浮かんだが、どれも言葉にはならなかった。楽しげに話す百合子に手を引かれて歩きながら、私は涙が止まらなかった。
その夜、灯りを落とした部屋の中で私が眠りに就こうとしていると、百合子が
「起きてる?」
と囁いた。起きていると囁き返すと、百合子は私のところにやってきて、ベッドの端に腰掛けた。
「どうしたの?」
起き上がり、ベッドの上で膝を抱えて尋ねると、百合子は真剣な顔をしていた。
「私たち、親友よね?」
「……ええ」
少し考えてしまったのは、昼間のことを思い出したからだ。小鳥に、かたつむりに、蜂や金魚まで、百合子の虐殺は及んだ。私はそれが恐ろしかった。小動物に手を掛ける百合子は、平気で人までも殺めそうな気がしてならない。もしかしたらそれは私が相手でも一緒かもしれない。百合子には、そういうはかりしれないところがあった。彼女の愛らしい手は、血に塗れていた。だが、私は百合子のことが好きだった。怯える心を押しとどめて、私は頷いた。
「嬉しい!」
そう言うと百合子は抱きついて、私の背中に手を回した。ふわりと石鹸の甘い香りがする。そのまま耳元で百合子は囁いた。
「あなたのこと、大好きよ」
「私も百合子のことが好き」
「私たち、親友の儀式をしようと思うの」
「儀式?」
百合子は頷くと、ネグリジェのポケットから折り畳み式のナイフを取り出した。ぱちんと音を立てて開かれたナイフの刃は、窓から射し込む月明かりを受けて鋭利に煌めいた。
「これで傷を作ってお互いの血を舐めあうのよ」
私は尻込みした。
「怖いわ」
「大丈夫、痛いのはほんの一瞬だから。見てて」
そう言うと百合子はナイフで、指先を切ってみせた。赤い血が丸く玉になって、浮かび上がった。
「さぁ、あなたも」
差し出されたナイフを拒むこともできたのに、それを受け取った私は、一種異様なその空気に酔っていたのかもしれない。何より月光を浴びる百合子のほの白い顔は美しく、神聖ですらあった。
指先をかすめたナイフは一瞬で、ほとんど痛みを感じなかった。じわりと鮮血が滲む。
「指を出して、交換よ」
百合子は私の指を口に含んだ。熱い舌が傷口に触れて、ちりりとした痛みが走った。私も躊躇いながら百合子の指先を滴る血を舐めた。血は濃く、甘かった。人の血を口にしたのは初めてで、むせかえるそれを私は啜った。
「私たち、これでずっと友達よ」
カスタード色の月が覗くその夜は、なかなか眠ることが出来なかった。
こうして私たちは親友になった。何をするのも、どこに行くのも一緒で、百合子は楽しそうに笑った。私はクラスメイトから妬まれて、意地悪をされることがあったが、その度に百合子が助けてくれた。
「見て、百合子ちゃんの金魚の糞よ。いつも一緒。百合子ちゃん、そんなにあの子がいいのかしら」
「しっ、聞こえるわよ。でも二人とも可愛いじゃない、並ぶとまるで絵みたいよ」
「憎たらしいったらないわ。上靴を隠してやろうかしら」
私たちはやり返すこともあった。私が陰口を言われれば百合子はその相手を呼び出して泣かせ、鞄の中に芋虫を詰めた。百合子は意地悪をしてきた女の子の体操袋にネズミを入れたり、泣いて謝るその子の頭を、笑いながら靴で踏みにじったりした。私は止めることもできずに、傍で立ち尽くしていた。また、百合子は私が他のクラスメイトと話すことを禁じた。挨拶をしても、笑いかけてもいけないと。だからやがてクラスメイトたちは、私と百合子を遠巻きに見るようになった。
また、私は幼い頃から裁縫が趣味で、毛糸のマフラーや、キルト生地でテディベアを作って遊んでいた。よくできたベアには名前を付けて可愛がり、ひそかに一緒のベッドで眠っていた。テディベアを抱きしめて眠る私に、百合子は目を光らせた。
「あなた、その年で熊のぬいぐるみと寝ているの?」
「……ええ」
質問の意地悪さに私が戸惑っていると、百合子はふっと目を和らげて言った。
「そう、その子可愛いものね。あなたが作ったの?」
「そうよ! ありがとう、よかったら百合子、あなたにも……」
 最後まで言い切る前に、百合子は
「でも、」
と、私の言葉を遮った。
「でも、ちょっと汚れちゃっているみたいね」
そう言うと百合子は、テディベアに、後ろ手に隠していたコップのミルクをかけた。
「ひどい……!」
「ごめんなさい、怒らないで頂戴」
百合子は私の震える肩を抱いた。ベアはミルクでずぶ濡れになり、生臭く、酷い臭いがした。
「これはあなたの為なのよ。いつまでもそんな古ぼけたぬいぐるみと一緒だなんて、他の子に知られたら馬鹿にされるわよ」
「だからって、こんな」
「私が代わりに一緒に眠ってあげる。抱きしめてあげる。だからそんなものは早く捨てて」
 私の手から百合子はテディベアを取り、汚いものを扱うように端を摘まんでくずかごに捨てると、うなだれる私の顎を持ち上げた。
「大好きよ」
 黒水晶の瞳が私を誘い、閉じ込める。私には正しい答えがわからなくなる。そしていつも同じ言葉を口にしてしまうのだ。
「……私もよ、百合子」
百合子は相変わらず優しいようでいたずらに私を虐め、弄んだ。傷つけられては抱きしめられて、その傷口に口づけられるような生活は、私の精神をすり減らしていった。私は彼女にだんだんと圧迫感と恐怖を覚えるようになってきていた。朝晩のお祈りで私は自分の苦しみを神様に打ち明けて祈ったが、誰にも助けを求めることはできなかった。
そんなある時、私は両親から一通の手紙を受け取った。教師から渡されたその封筒を、自室に帰って開けてみる。中には信じられないことが書かれていた。
夜、眠りにつく前に、私は百合子に話を切り出した。
「ねぇ百合子、話があるのだけど」
「何?」
わたしは舌で、乾いた唇を湿らせた。
「じつは私、転校することになったの」
「……どういうこと?」
警戒した声で百合子は私に一歩、詰め寄った。百合子の黒い瞳に、私が映る。
「両親の都合で田舎に行くことになったの。転勤で。だからあなたとは、もう一緒にいられない」
「そんな……」
百合子は唇を震わせた。瞳にみるみる涙が溜まり、やがてそれはぼろぼろとこぼれ落ちた。
「どうして?やっと本当の友達が見つかったんだと思っていたのに」
「ごめんなさい」
「みんないなくなってしまう……私にはあなただけなのに……」
「ごめんなさい、泣かないで」
罪の意識が心を満たした。私はただ、謝り続けることしかできなかった。
泣きじゃくる彼女の肩を抱きながら、しかし私は密かに安堵を感じていた。奥底では、百合子と離れられることを喜んでいたのだ。百合子の存在は、いつの間にか私には重すぎるようになっていた。過ぎた束縛も、厚い信頼も、私には煩わしいだけだった。
「あなたと離れるくらいなら、私……」
不意に百合子が呟いた。静かだがどこか冷たいその声に、私はぞくりとした。ぎりぎりと背中に、爪が食い込む。
「……百合子?」
百合子はネグリジェの袖で涙を拭うと、にっこり笑った。
「何でもないわ、仕方のないことだもの」
「よかった。転校はまだ先だから、それまでは一緒にいられるから」
「わかったわ」
頷いて、可憐な笑みを浮かべる彼女の虚ろな瞳に、私は気がつかなかった。
次の日の真夜中、もう眠っていた私は百合子にゆすり起こされた。
「どうしたの?」
「礼拝堂で先生が呼んでいるの。一緒に来て」
こんな夜中に? 疑問が浮かんだが、スリッパに足を入れて私は百合子と部屋を出た。蝋燭を持つ百合子と私の影が、暗い廊下に長く伸びた。
礼拝堂に着くと、百合子は鍵を開けた。教師しか持つことを許されていない鍵を、なぜ彼女が持っているのかはわからなかったが、促されて私は中に入った。百合子は後ろ手に、がちゃりと扉の鍵を閉めた。
「百合子? どうして鍵を閉めるの?」
礼拝堂の中は暗く、人気がなかった。何かが臭う。油のような、ガスのような、嫌な臭いだ。
「百合子? 先生はどこ?」
百合子は答えない。俯く彼女の顔は、長い髪で隠れて見えなかった。
「ずっと友達だって、約束したじゃない」
「え?」
百合子の肩が小刻みに震えだす。
「いつもそう。皆嘘をつくの。友達だって、一緒だって言うのに、最後にはいなくなってしまう」
「……百合子?」
「私はあなたと離れたくないの」
「転校のこと?あなたは納得してくれたじゃない」
「いいえ、私たちはずっと一緒にいるのよ。それは運命なの」
「そんなの無理よ」
「わかっているわ……それなら、いっそ」
顔を上げた百合子は微笑んだ。その微笑みは、おぞましい狂気に満ちていた。光る瞳は暗い、底知れない色をしていた。
「私と一緒に、ここで死んで?」
百合子はマッチを擦り、床に落とした。途端に床に撒かれていたガソリンに火がついた。ばっと炎が広がり、辺りは火の海になる。
百合子は首を傾げて微笑む。
「私たち、天国でも一緒よ」
白い頬に、ちらちらと炎の影が踊る。百合子は大きな声で笑った。
「誰か!誰か助けて!」
わたしは扉に駆け寄り、どんどんと叩いた。しかし礼拝堂の扉は厚く、誰かに声が届くはずもなかった。炎はどんどん燃え盛り、火の手はすぐ近くまで迫っていた。熱い。火花が飛んでくる。
「どうしたら……!」
辺りを見渡すと、私は教師の座る鉄パイプで出来た椅子を見つけた。私はそれを掴んで引きずり、ステンドグラスの窓に叩きつけた。がしゃん、がしゃんとガラスは砕け散り、どうやら人一人が通れるだけの穴を開けることができた。穴から抜け出したわたしは、百合子を振り返った。
「百合子、早く……!」
後ろを振り返り、手を伸ばすと、百合子は燃えていた。長い黒髪を舐めるように炎は移り、彼女のブラウスからスカートへと燃え広がった。めらめらと全身が炎に包まれた百合子は、しかしとても綺麗に笑っていた。この世のものとは思えないような、美しい笑顔だった。炎に包まれた百合子は宗教画で見たような、地獄の悪魔の微笑みをしていて、私は息を呑んだ。彼女はまさに、怪物だった。
「百合子……!」
百合子と私の目があった。百合子は目を細めてにっこりと微笑み、口を動かし何かを呟いた。
「何を言っているの……!?」
炎に焼かれた言葉は、聞き取れなかった。そんな。胸が潰れるようで、私は百合子に手を伸ばした。百合子は笑顔のまま、そしてスローモーションのように、ゆっくりと、前に、倒れた。
「百合子!」
その時がらがらと瓦礫が崩れて、礼拝堂は焼け落ちた。
あの後、警察と教師からの質問に何と答えたのかは覚えていない。私は放心状態で、心ここに在らずだった。友達だったのに、百合子が、どうして、と繰り返すばかりの私を教師たちは見かねてすぐ部屋に返してくれた。
一人の暗い部屋に戻って、私は百合子のベッドに腰掛けてシーツを撫ぜた。乾いたシーツはさらりとして温かい感触で、薔薇と石鹸の混じったような百合子の香りがした。その匂いを嗅いで初めて、私は涙を流すことができた。
それからこの事件は報道されて新聞に載り、学校は閉鎖されてしまった。私もよそに移り、また別の学校で、また別の友達を作った。時が経つにつれて、あのおぞましい記憶は薄れていった。
それでも炎を見ると思い出す。とても美しく、そして残酷だった友達の最期を。今際の言葉を、私は聞き取ることができなかった。あの時彼女は、百合子は何と言っていたのだろうか。八文字の言葉。私は永遠にそれにとらわれ続ける。
「私たち、ずっと一緒よ」
百合子の願いは叶えられたと言えるのだろう。それを考え始めると、私は今でもあの少女の時の記憶に囚われて、身動きがとれなくなってしまうのだから。