僕、本当はいろんなこといつも考えてたのに

今日は私の計算高いところについて話そうと思う。例えばの話。私は彼氏からよく抜けているといわれるが、彼女は私のことをこの間会ったときに「しっかりしているね」と言っていた。私はこの彼女からの評価について不満だった。不満と言う言い方は適切では無いかもしれない、不満というか困惑した。それは私の評価にはあまり類を見ないことだったから。だが彼女は昔から私のことを度々しっかりしていると言っていた。なぜこの評価がこんなにも私の中で引っかかるのだろうか。少し自分を考察してみた。

 

すると私は昔から、昔から?いつの間にか自分を弱いものとして表現しアピールすることに慣れてきていた。何故かと言えば私はある時気づいたのだ。弱者として見られた方が、圧倒的に得であると。弱ければ守ってもらえる同情してもらえる優しくしてもらえる何も損をすることがない。見栄を張って強がるより不安定でだめな自分を表に出したほうがわかりやすいし何より楽だった。この場合の弱者と言うのはメンタルヘルスと言う社会的弱者だったり女と言う立場の弱さだったりした。わかりやすい力の弱さへりくだれば表立った争いが起きることもない言葉で言うと大袈裟だが、多分同じようなことを実際にあまり意識せずにやっている人もいるだろう私だけでは無い多分きっとおそらく。

 

共依存だとかリストカットだとかオーバードーズだとか宗教拒食援助交際不登校いじめ精神科緊急搬送自殺未遂アダルトチルドレン幻聴幻覚妄想被害妄想トラウマそういう一見重そうに聞こえる自分の役に立ちそうな過去の話は全て利用してきた気がするステータスだった自慢だった。

そういうのを利用せざるを得ない状況だったと言えば聞こえは良いかもしれないが要するに私は計算高かっただけだ、ずる賢かっただけだ。

私の間抜けなところは間抜けさを装った暗黒な真っ黒い腹の中だ闇だ。

父の病気自分の休学その辺まで自分の不幸の黒いものにしている。どうしようもないわかっている誰も私を責めない誰も私を責めない。

 

彼女は私のことをとてもよく理解してくれているからきっとわかられてしまったのだろう私はこんな人間であると言う事を。どうして彼女は私を見捨てないんだろう。こんなに利己的なのに信じると言うこともよくわかっていないの

 

私は不器用な人間だしゃべるのもうまくない人と関わるのもうまくない得意な事はあまりないでももしかしたらそれは錯覚だったのかもしれない私の1番得意な事は自分自身を騙すことかもしれない私が騙しているのは彼氏でも両親でもなくて自分自身なのかもしれない、悩んでみせる、これも一種のポーズだ、本当のことなど誰にもわからない、誰も気にしていないのかもしれないでも私は気にしなければならないだって私の人生だから私が生きるしかないのだ、大げさでも悲観的過ぎても。

 

このブログはというか今日のこの文章は音声入力システムで作っている。割合便利だ。というのも何しろ目が見えなくて困っている。今までのオーバードーズのせいかよくわからないが奇妙な話だが目を開けてられないのだうまく。

だから誤字脱字があってもどうか許してほしい

 

改めて今日の日記。

彼氏と会ってスイパラで食べ放題を食べたりとらのあなに行ったりした。なんとも俗っぽい。でも楽しかった。彼氏とは1週間ぶりに会った。幸せだった。やっぱり彼氏のことが好きだ。まるで小学生みたいな感想文。私の感性はあるいは中学生だと思っているのかもしれない。永遠に思春期。

 

明日は何をしよう。ちなみに今日は母の日だったから花束を買って帰りました。

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