いつか天魔の白ウサギ

この自己嫌悪がひどい2017

ブログ消してツイッター黒歴史クリーナーにかけたくなる気持ち、生き恥晒し、発狂鳥人

赤く白く塗りつぶしてほしいし、何のために生まれて何をして生きるのか答えられないし、恐れを知らない戦士のように生きるしかないならもう一生家から出たくない。

わたしの存在価値とは何か?あなたの生きている理由とは何だ?大丈夫、わからなくても全く問題はない。働き、食事をして、眠り、人とコミュニケーションが取れれば毎日はやり過ごせるし、何ならたまに働かず、何も食べず、ねむらず、家から一歩も出ずに誰とも話さなくてもそれこそ死なない限りは生きているのだ。しの反対が生ならば、今ここにいるわたしは生きている。あなたも生きている。それ以上でもそれ以下でもない。何も思い悩むことはないはずだ。

それでも欲張りなわたしはどうせ生きているならばと人生に何らかの意味、価値、理想、ゴールを掲げたくなってしまう。確かに目標がある方がメリハリもつくし、努力もしやすい。だがわたしの掲げる目標はいつも行き過ぎた理想主義により重たく大きすぎて、結果わたしの首を絞めてくる。まさしく計画倒れ。幾度となく作り上げては崩れた理想郷の跡地は荒れ果て、わたしにはまたもや口先だけの根性なしの称号だけが残り、達成できなかった目標に対して生まれる自己嫌悪、それからの逃避、苦い経験によりますます新しいことに挑戦できなくなるの負のループに陥ってしまう。もっとも悪いことは自分でもそれがわかっているのに抜け出せないことだ。この循環は互いの尻尾を咥えた蛇のようにぐるぐるとわたしの内側だけで起こっている。始まりもなければ終わりもない。自覚はあってもそもそも抜け出す努力をしているのかも定かではない。具体的な行動にでるのは昔から苦手だった。改善、進歩、成長、どれも抽象的だ。できる日は来るのだろうか。

 

論理立てて物事を話すのも苦手、わたしの説明は二転三転した挙句、車輪が外れてどこかに転がっていく。

わかるのは誰とも話し合いなんかしたくないし、悩みを打ち明けて望んだのとは違う反応がかえってくるくらいなら全て抱えたまま死んでしまいたいということだ。内向的、よく言われる。心を開かない、よく言われる。我儘、きっとそうなのだろう。

わたしも大概極論をいうが、それにしても上には上がいるものだなと思う。近い例がわたしの母。学校を休むと「じゃあもう辞めろ」「辞めて働け、家を出て行け」、家事を手伝わないと「そんなにお母さんを早死にさせたいのか」「誰一人いうことを聞かない」「もうお母さん辞めたい」、リストカットをすると「そんなに死にたいならしんでしまえ」と包丁を渡してくるなどと激しかった。わたしがこの歳になってもある程度の暴力はある。最近は眼鏡を捻じ曲げて壊されて、出掛けられないようにされた。なんていうか、激情したときの母は何をするかわからない。わたしもだいぶアレだが、この木にしてこの実だなぁと思う。言ったらブチ殺されるからいわないけど。

でもわたしたち四人の子供を抱えながら、高校のPTA会長もやり、実家の会計や事務の仕事をこなし、入院中の父を見舞い、家事や送り迎えをしているのだから毎日何もせずに16時間くらい眠っているわたしにキレたくなるのも当然だと思う。特に今、父のことで母は追い詰められている。ただ、「よくこんな状況であんなひどいこと(わたしの4月の多量摂取からの緊急搬送事件)できたよね」と糾弾されたときはちょっとつらかった。こんな状況だからやってしまったんだけどなぁという気持ち。ODもリスカもなんだかんだ好きでやっている:やらざるを得ないのが半々だ。「なんでこんな子に育ってしまったのか」わたしだってなりたくてなったわけじゃない。やっぱり言わずに黙って叱られていたけれど。

心に刺さった鋭い言葉は抜くと死んでしまうので、深く考えずに思考を止めて母に焦点を合わせずに黙っている。母がいうだけいって気がすむのを待つのだ。どんどん涙が出るから定期的に鼻をかみながら、ぼんやりしてやり過ごす。わたしは狡い。それでも最近はそろそろお互いに限界のようで前回母に怒られたあとわたしは久しぶりに市販薬をODしたし、母は台所で包丁を握りしめて泣いていた。もう死にたいともいわれた。あなたのことを考えるとストレスで具合が悪くなると。明らかに母の方がヤバいのでどうにかしてあげたいけれど、21年間のすれ違いは大きくてなかなか難しい。

母はいつもは理性的で情に厚く、優しい。相談に乗ってくれる。いろんなことを手伝ってくれる。美味しい料理を作ってくれる。そして心配してくれる。常識もある。器も広い。人望もある。フレンドリーだ。昔から心臓が悪く、具合も悪いときでもわたしたちの面倒をいつもみてくれた。わたしは母が好きだし、母もわたしをきっと好きで愛してくれている。母がいなくなったらわたしはとても悲しい。

だから怒っているときの母には困惑する。わたしを殴ったりものを壊したり大声で責め立てる母はわたしの知っている母なのか?同時にわたしは母のその怒りが決して理不尽なものではないことも知っている。単純に純粋に100%わたしが悪い。申し訳なく思うのに、それを直せないのはなぜなんだろう。約束をやぶり、いうことを聞かず、母を失望させてばかりいるのはどうしてなんだろう。

わたしは母には弱音は吐けない。つらかったり、死にたくてもそれをいえない。いいたくないし、多分わたしが一番理解してもらいたいのが母なので母にその気持ちを否定されてしまったら終わりだと漠然とわかっているからだろう。

母との関係はいろいろ拗らせすぎていて、もうよくわからない。深いようで浅い自己分析しかできないわたしには自分とも向き合えていないのに、母と自分の関係性を見つめなおすことなどとてもできそうにない。やる前から逃げ出したくなってしまう。

それでもいつかは相互理解をしたい。だってわたしは母が好きだし、実の母は一人きりだし、それはきっとわたしのメンタルヘルスの改善にも繋がるだろうから。

いうだけならタダという言葉もある。一方タダより怖いものはないともいったりもする。どちらも一理あるなと思いつつ、がんばりたい、いろいろ。(まとめ方が雑)

 

明日の予定は未定だが、神経内科と歯医者と大学に近々行く。日曜日には彼氏とも会う。

休学して暇になったけれど眠ってばかりいるから、夢をたくさんみて精神は活動している。

いつかわたしのみる夢についても言及したい。

 

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