エチルアルコォルの睡り

高校生の頃まで家に無職でアルコール依存症で結婚に失敗したお父さんの兄弟の方のおじさんが住んでいた。

 

もともとお父さんの実家を増築して住んでいたから二世帯住宅だったし、わたしたち家族は二階に住んで、おじいちゃんおばあちゃんおじさんは一階で食事のタイミングもバラバラだったからおじさんとはあまり会う機会もなかったし気にしていなかった。

 

おじさんとの記憶に残るエピソードは数えるほどしかない。そのうちの一つは、中学生の時わたしは友達とバンドを組んだのでベースを買ってもらったら、お父さんが「おじさんも昔ベースをやっていたよ」というので弾いてもらった。

おじさんの部屋にベースを持っていくと、おじさんは「何年振りかな」といいながら早弾きやスラップやわたしにはよくわからない技術を披露してくれた。曲をリクエストした訳ではなったけれど、素直に感激したしわたしもきっとおじさんも満足した。

夜だったからすぐにおやすみなさいをして、おじさんの部屋を去った。

 

おじさんの部屋は二階にあるわたしの部屋の窓からよく見えた。部屋はいつも夜遅くまで明かりがついていた。

 

おじさんはわたしが生まれた時から犬を飼っていた。最初はヨークシャテリアで、その子が亡くなるとトイプードルのメスを飼ったけどどちらもあまり世話はしていなくて、おじいちゃんおばあちゃんが面倒を見ていた。

 

おじさんは一度女の人を家に連れてきた。紹介もしていたし、お正月にきたり、式を挙げない結婚みたいなものだったんだろうけれど詳しくはよく知らない。小太りで茶髪のバツイチの女の人だった。名前はもう覚えていない。一度家庭を持たないのに結婚する意味はあるのか尋ねたことがあった。おじさんは苦笑いしていた。わたしも我ながら嫌な質問だったと思う。

 

おじさんはアルコール依存症で入院をしていたことがあるらしかった。詳しくは知らない。でも退院しても禁酒はできていなかった。酔って廊下で転び、手首を骨折したりしていた。お母さんはちょっと呆れていた。わたしはそれなりに不憫に思っていた気がする。わからない。

 

おじさんはわたしが高校生のときに亡くなった。一人で酔って眠っているときに吐瀉物が喉に詰まって亡くなっているのをわたしの両親が発見した。死に顔は恐ろしかったらしいけれど、葬儀屋さんはわたしたちの眼に映るときには綺麗に修正してくれていた。ちょっと顔色の悪いいつものおじさんだった。

 

おじさんが亡くなった知らせをきいたとき、わたしは泣いた。急にとてつもなく悲しかった。おじさんともっと話せばよかった、関わればよかったとわかりやすい後悔が渦巻いた。

 

ウィスキーの小瓶を一日で開けたり、昼間からお酒と薬を飲んでいるとおじさんもこんな気持ちだったのかなと考える。お酒を飲んでもとりたてて楽しいわけではないのだ。為すすべはない。少し気持ちは楽になるから脳を麻痺させて、胃を焦がす液体を煽る。なくなる。開ける。注ぐ。流し込む。泥のような酔い、陰鬱な、矛盾した高揚。つまらない想像と同調だ。人の苦しみは想像することはできても、完全に理解することは誰にもできない。だから諦めていいことにはならないし、わたしにも何かもっとできることがあったんじゃないかと思ってしまう。だってわたしはこんなにいろいろな人に支えられているのに、苦しいし寂しいから。

 

わたしはおじさんにとっては他愛ない姪にしか過ぎなかっただろうけれど、家族なんだから何かの救いにはなりたかった。誰かを救おうなんてこと自体エゴだけど。そして救うならばまずは自分からだろう。

 

わたしはお酒を一人で飲んでも酔いはするけど、でも、楽しくはない。

おじさんとお酒が飲めたらよかった。